夕立

研究室のPCで、世界中をめぐっている友達のウェブサイトを見て、自分もなんとなく国境を超え旅をしたようなふわふわした気分になった。
ふわふわしたまま大学からほんの少し離れたところに用を足しに行った。
10分ほど建物の中にいて、出ようと思ったら外は空が激怒したような大雨。雷。空に感情があるようで、神様の存在も当たり前に考えてしまう。
自転車は雨風で倒れ、歩いていた人たちはアーケードに立ち往生。向かいの関西電力からは停電を直すためか、車が何台もサイレンを鳴らし出て行った。
ほんの少しの距離なのに出られないほどの激しさだ。
アーケードの屋根の下で数人のおばちゃんたちと一緒に雨宿り。
おばちゃんたちと話したり、パチンコ屋を覗いて時間をつぶしたり。パチンコ屋のお兄ちゃんに空いてる台に座っていてもいいですよ、と言ってもらったり。
見慣れたはずの風景ががらりと違う表情を見せている。
結局1時間弱雨宿りをし、雨足が弱くなったときに知らないおばちゃんの傘に入れてもらって戻った。
研究室に戻ってくると、またいつもの空気に軽い安堵と消失感を覚えた。

きっと旅はそんなに遠いところにあるわけではないのだろう。
自分で見つけることはやや困難かもしれないが、常に自分なりの旅アンテナを張っておきたい。
旅をしているときに感じることができる感覚、それは確かに独特のものであるが、類似した感覚が日常に存在する。
それをほっぽっておくのは勿体無い気がする。
鋭い夕立に、この土地に打ち付けられるような感覚を受けたが、それすらも心地よかった。

と、ここまで書いて、ですますを忘れていたことに気が付いたのです。こういうのも気分だからねえ。