、『世界報道写真展2003』

大谷での開学記念式典に出席し、仏大での聴講を終えた後、立命館大学国際平和ミュージアムにて、『世界報道写真展2003』を観てきた。
自分の大学の図書館でフライヤーを見て以来気になっていたのだ。

立命館大学衣笠キャンパスには初めての訪問。まずそんなミュージアム立命館が持っていたことにまずびっくりした。うろ覚えの地図を思い出して辿りついた建物は、新しくてキレイだった。
この『世界報道写真展2003』は、昨年一年間に起きた事件・事故や災害、芸術やスポーツ、環境問題など森羅万象を写した200点の写真が英語と日本語のキャプションとともに展示されているものである。会場内には数人の学生と留学生の姿が見てとれた。

私はまず、戦争、内戦、地震後などの部門から見ていった。
ミャンマー刑務所の中で多くの人々がじっと座っている写真。
木造の監獄の迷宮で、服役者は手枷をはめられて座らされ、あぐらをかいたまま動くことを禁じられる。
インドでのヒンドゥー教徒イスラム教徒の抗争の写真の前では、今年の初めに実際自分の目で見てきた諍いを思い出し、長い時間足が止まった。
アフガニスタンの写真、殉教隊の写真・・・。
「自然と環境部門」に変わり、出てきた動物の姿に安堵感を覚える。
アフリカの少数部族の少年が成人になる儀式の写真。
夕焼けをバックにニッカリ笑う少年の笑顔はなんとも素敵だ。
アフリカには一度行きたい。一度行き損ねたことがある。それは自分の未熟さが原因だった。その時私は中東にいた。ナミビアに飛ぼうとした日の近くにテロがあったこともあって、友人たちはこぞって私を止めた。それでも行くという私に「一体どんな甘い国から来たんだ。」とあきれたように言った友人の顔とアラビア語訛りの英語を私は一生忘れないと思う。結局渡航はやめ日本に戻ってきたのだけれど、実は時々、やっぱりあの時は行っておけばよかった、と思い返すことがある。まあ、あの時それはそれでよかったのだろうけれど。
エチオピア高原のシメン山地にのみ生息するゲラダヒヒの写真。
ゲラダヒヒのオスは一生のうち一度しかメスと交わる機会を持たない。そのため、その一度の機会に、オスはほとんど全てのメスと交わる。
どんな生き物にとっても、生きることは、決してやさしくはない。

「日常生活部門」。アメリカの生活はやはりドラッグに代表されるのだろうか。母子でドラッグを吸い、少年は銃とマリファナを交換する。隣に展示されたシベリアでトナカイと暮らす人々の生活とかけ離れていて、それがなんともいえない空間のねじれを生んでいた。凛とした凍えた空気の中、彼らの生活は生きることと精一杯向き合う時間が大方を占め、緊張感と動物も人間も関係ない命の一体感が、湯気のように立ち上る不思議な暖かさを感じさせる。壁にもたれてドラッグの煙に巻かれた生活とは非常に対照的に見えた。
誤解の無いように書いておくと、それは決して良い悪いということではない。ドラッグに浸った生活が怠惰で愚かなものであると決め付けることはできない。1人の人間の生活の局面のみを取り上げてそんな単純な二元論で取り扱うことは、いささか早計であり無礼であるように私には思われるからだ。

「スポーツ部門」。ワールドカップや体操などいろいろあったが、なんといっても少林寺の僧の写真に私の目は釘付けだった。だって壁を垂直に歩いている写真があったのだ。なんだなんだ。どうなってるんだ。その他にも美しい拳法の構えに見とれた。少林寺拳法基本の18の型は野生動物からとったそうだ。興味が沸いた。はたしてこれも仏教なんだろうか?
 
「芸術部門」。サンローラン氏をモチーフにした一連の作品が面白かった。愛犬ムジクⅢのみをお供に従えてドレスのチェックをする
姿や自宅の大きな食堂でカメラを前にしてどうしていいのかわからないような顔をして写っているものや。とてもコミカルでユーモアがあって私は好きだ。

会場を出たあと、そのまま第二会場の『朝日新聞のカメラマンが撮ったイラク戦争の写真展示会(正式名称忘れた)』を見た。
世界報道写真展』を見た直後だけに、よりいっそう見入ってしまった。

最近このような催し物を見た後まず考えることは、自分にできることは何だろうか、何かできないだろうか、という一点に集中する。そしてまた答えもいつも同じ場所に帰着する。
それはここには書かないが、随時話せるときに話せる人と話していきたい。
なかなかおもしろい1日だった。
平衡感覚がおかしくなるような刺激。
ミュージアムを出て、自分の環境をもう一度見直してみる。やっぱり恵まれていると思わざるを得ない。その中で自分はどのように時間を使っているか?
もう一度考えてみる必要がありそうだ。